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🌊聖誕節(성탄절)의 奇蹟(기적)


聖誕節の奇跡「興南(フンナム)撤収」


(韓國語+日本語字幕,8分)


平和で静かな聖なる聖誕節(クリスマス)。しかし、1950年、韓半島の聖誕節はそうではありませんでした。


1950年9月の仁川(インチョン)上陸作戦以後、勢いに乗って北韓に攻め込んだUN(国連)軍でしたが、1950年11月、韓国(=朝鮮)戦争における最大の危機を迎えるようになりました。


中共軍の介入により、豆満江(トゥマンガン・とうまんこう)を目の前にして、UN(国連)軍は再び南方に退却するようになりました。


1950年の秋に仁川上陸作戦があって、それにより、南の韓国を占領していた北韓軍は再び38度線の北側に押し返されました。


UN司令部と韓国軍は、作戦名「ロールバック」により、北韓軍撃退作戦を広げました。


この作戦の目的は基本的に北韓に懲罰を与え、北韓政府を破壊し終わらせる事でした。しかし、それが中共軍が朝鮮戦争へ介入する契機になったのです。


長津湖(ちょうしんこ)の戦いにおいて、中共軍は数的優位を持っていたが、被害はむしろUN軍よりはるかに大きかったのです。


中共軍には軍隊レベルのまともな通信設備もなかったのです。中共軍は太鼓やラッパ、笛を吹いて戦っていました。


安在喆博士(アンジェチョルはくし):
長津湖の戦いが特別に625(朝鮮)戦争でもっとも重要であった理由が、長津湖(ちょうしんこ)において、中共軍が徹底して敗退する事により、それ以上の作戦遂行が不可能になる事により、興南(フンナム)撤収が可能になったのです。


長津湖(ちょうしんこ)の戦いにおいて、中共軍は12万名が投入され、その内、4万名が戦死しましたが、その4万名の中の3万名の死因は凍死でした。


アメリカ海兵隊の被害も普通ではありませんでした。アメリカ海兵隊一師団がその十倍も多い中共軍に立ち向かい死闘を繰り広げる間、残りのUN軍は中共軍の包囲網を破り、興南(フンナム)埠頭に集結しました。


UN軍にとって状況が不利になり、12月8日、UN司令部は12万名のUN軍を、興南(フンナム)埠頭から東海を通じて退却する作戦を決定しました。


しかし、問題がありました。共産主義の恐ろしさを感じた北韓住民達が退却するUN軍と共に興南(フンナム)埠頭に集結していた為でした。


安在喆(アンジェチョル)博士:
自由世界に対する希望でしょう。北韓住民達は、(第二次大戦終戦以後)共産主義政権下で5年の間、暮らしていた人達でした。金日成(キミルソン・きんにっせい)によりすべての物を奪われて被害が大きかったのです。興南(フンナム)地域の住民達は「これ以上耐えきれない」と考えたようです。


UN軍12万名と押し寄せて来た北韓避難民10万名が北韓から同時に脱出する事はほとんど不可能でした。


UN軍はしかし、軍艦に、漁船、商船まで使用できるすべての船舶を動員し、避難民とUN軍を安全な場所に退却させました。多くの船舶が動員されました。


興南(フンナム)撤収作戦をもっとも象徴する船は、メレディス ビクトリーであり、そしてメレディス ビクトリーは海軍の貨物船でした。1万4千人の避難民を船倉にぎっしり詰めて乗せたのです。乗船から避難到着まで二泊三日の間、ノー ウォーター、エニィボディ、そして、ノー フード。そして便所もありませんでした。そして避難民達はぎっしり詰められていたから、横になる事も出来ませんでした。だから立ったまま寝ました。ほんとうに悲惨でした。


2014年に開封された映画、「国際市場」では、阿修羅場(あしゅらば)のような当時の状況を良く描写しています。当時、米軍の通訳官であった玄鳳學(현봉학・ヒョンボンハク)博士は第10軍団長エドワード アーモンド少将に、「避難民達を船に乗せてくれるよう」訴えました。


退却作戦を繰り広げていたアメリカ海軍は、命を懸けて船にぶら下がる避難民達を無視する事は出来ませんでした。


興南撤収作戦にて最後に残っていた貨物船、メレディス ビクトリー号のレオナド ラルー船長は、船に乗っていた軍需物資を全部下ろせと命令し、代わりに1万4千名の避難民とUN軍を乗せて興南埠頭を離れました。


もし敵の攻撃を受ければ転覆するにもかかわらず、1万4千名はみんな無事でした。


興南埠頭において船に乗った者は1万4千名。しかし、巨済島(コジェド)で降りた人は1万4千5名。地獄のような脱出状況の中において、5名の新しい生命が生まれたのでした。アメリカ兵達は、ビクトリー号で生まれたこの子供達に、「キムチ」という別名を付けて呼びました。


歴史上、類を見ないメレディス ビクトリー号の避難民救出作戦は、地上最大の民間人救出作戦としてギネスブックにまで載りました。


そして、メレディス ビクトリー号の興南(フンナム)撤収作戦は今、多くの人達に、「聖誕節の奇跡」として記憶されています。


興南(フンナム)埠頭で、つないでいた幼い妹との手を離してしまったお兄さんは、70年過ぎた今もその手をつなぐ事が出来ていません。抱いて踊りを踊る事も出来ていません。


一生の間、故郷に帰れる日だけを指を折って数えながら懸命に生きて来た避難民達。彼らがこの世を離れる前に再び故郷の地を踏む事が出来るのか。家族に再び会いたいと胸が張り裂けるほど渇望する避難民達。再び、「聖誕節の奇跡」を待ってみましょう。


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