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🎹어느 民族(민족) 누구게나・どの民族、誰にでも


🎹어느 民族(민족) 누구게나

(韓国語,5分)


새讚頌歌 586章 어느 民族 누구게나


어느 民族 누구게나 決斷할 때 있나니
참과 거짓 싸울 때에 어느 便(편)에 설건가
主가 주신 새 目標가 우리 앞에 보이니
빛과 어둠 사이에서 選擇하며 살리라


オヌミンジョ ヌグゲナ キョダンハルテ インナニ
チャンガ コジ サウ テエ オヌピョニ ソゴンガ
チュガ チュシン セモーピョガ ウリアペ ポイニ
ピーカー オドゥン サイエソ ソンテハヨ サリラ


どの民族 誰にでも 決断する時がある
真(まこと)と偽りが 戦う時に どちら側に 立つのか
主が下さった 新しい 目標が 私達の 前に 見えるので
光と闇の 間で 選択して 生きよう


高尙(고상)하고 아름답다 眞理便(진리편)에 서는 일
眞理 爲해 抑壓(억압) 받고 名譽(명예) 利益 잃어도
卑怯(비겁)者 물러서나 勇敢(용감)者 굳세게
落心한 者 돌아오는 그날까지 서리라


コサンハゴ アルンタータ チンリーピョネ ソヌンイ
チンリー ウィヘ オガーパーコ ミョンエ イーイー イロド
ピーゴパンジャ ムロソナ ヨンガンハンジャ クセゲー
ナシンハンジャ トラオヌン クナカジ ソリラ


高尚で美しい 真理側に 立つ事
真理の為に 抑圧を受け 名誉 利益を失うとも
卑怯な者 退くが 勇敢な者は 粘り強い
落胆した者 戻って来る その日まで 立とう


殉敎者(순교자)의 빛을 따라 主의 뒤를 좇아서
十字架를 등에 지고 앞만 向해 가리라
새時代는 새使命을 우리에게 주나니
眞理따라 사는 者는 前進하리 언제나


スンギョジャエ ピーツタラ ジュエ トゥィル チョチャソ
シッチャガル ドゥンエチゴ アンマンヒャンヘカリラ
セシデヌン セサミョンウ ウリエゲチュナニ
チンリタラ サヌンジャヌン ジョンジンハリ オンジェナ


殉教者の光に従い 主の後ろを追って
十字架を背に負い 前に向かって行こう
新しい時代は新しい使命を私達に下さるので
真理に従い生きる者は 前進しよう いつも


惡이 비록 盛하여도 眞理 더욱 强하다
眞理따라 살아갈 때 어려움도 當하리
우리 가는 그 앞길에 어둔 帳幕 덮쳐도
하나님이 함께 계셔 恒常 지켜 주시리


アギ ピロ ソンハアヨド チンリ トウ カンハダ
チンリタラ サラガルテ オリョウンド タンハリ
ウリ カヌン ク アンキレ オドゥン チャンマ トッチョド
ハナニミ ハンケ ケーショ ハンサン チキョ チュシリ


悪がたとえ盛んになっても、真理はより強い
真理に従い生きる時難しさも被(こうむ)るだろう
私達が行くその前途に暗い幕が覆っても
神が共におられ常に守って下さるだろう


  


💎ジュエラーより


☼殉教者の光


2番の韓国語の歌詞の中に、日本語に翻訳した「殉教者の光」という言葉があります。


これは日本語の賛美歌「光と闇とのゆきかうちまた」の歌詞では、「誉れと栄を受くるは誰ぞ」となっています。


つまり、初めてこの賛美歌を翻訳した日本人は、「栄(さかえ)の光」としたようです。それで、日本人はこの賛美歌を歌いながら、この部分は、「栄光を受けるのはだれか…私がキリストから栄光を受けよう」などと思って歌っていると思います。


しかし、この部分の英語は、「By the light of burning martyrs」となっています。つまり、「殉教者の焼ける光」です。キリスト教徒に対するローマ帝国の刑により焼かれる光です。中世ヨーロッパにおいても、殉教者は火あぶりされています。だから、この「ライト」、「光」とは殉教者が火あぶりの刑で燃える時の光です。



この歌詞の次の歌詞は、「Christ, Thy bleeding feet we track,」です。つまり、この前の歌詞と合わせて翻訳すると、


「殉教者の焼かれる光によって、キリストの血が流れる足に従おう」


という意味になると思います。この賛美歌の全体の雰囲気は、「殉教する状況においても、善と悪、真と偽をはっきりと見定めて、キリストと共に十字架を背負って前進し戦おう」…という意味でしょう。


In the strife of truth and falsehood 真実と偽物の戦いにおいて
For the good or evil side 善側か悪側の(分別の)為に
Tho' the cause of evil prosper 悪が栄えようとも
Yet the truth alone is strong しかし真実は強い


この詩が作られたのは1845年です。


1846年から1848年の間にテキサス共和国とメキシコ合衆国の間で戦われた戦争、アメリカ・メキシコ戦争=米墨戦争(べいぼくせんそう)が起こっています。また、奴隷解放の為のアメリカの南北戦争が、1864年から1865年に起こっています。


「In the strife of truth and falsehood (真と偽りが戦う時に)」という言葉が入っているこの賛美歌は、戦争で兵士達によって唱えられた詩、あるいは、歌われた賛美歌だと推測できます。作者のジェイムス ラッセル ローウェル(James Russel Lowell)は奴隷解放主義者だったそうですが、とにかく歌詞から考えても戦争に深い関係がある賛美歌です。


なお、韓国では、朝鮮総督府から迫害されたキリスト教徒の劇でこの賛美歌が歌われます。韓国のクリスチャンの中で神社参拝(偶像崇拝)を拒否したクリスチャンは投獄や拷問の迫害を受けながらも死んだ人もいるので、この賛美歌の歌詞の内容が一致するのです。


참과 거짓 싸울 때에 어느 便(편)에 설건가
빛과 어둠 사이에서 選擇하며 살리라
真と偽りが戦う時に どちら側に立つのか
光と闇の間で 選択して生きよう


眞理 爲해 抑壓(억압) 받고 名譽(명예) 利益 잃어도
卑怯(비겁)者 물러서나 勇敢(용감)者 굳세게

真理の為に抑圧を受け 名誉や利益を失うとも
卑怯な者退くが 勇敢な者は粘り強い


↑2017年8月10日 나라사랑祝祭「어느 民族 누구게나」


↓最近では、文在寅(ムンジェイン)政権への反対デモでもこの歌が歌われています。

デモ会場の大きな電光掲示版に、4番の歌詞が写っています。
「悪がたとえ栄えても真理はより強い」
ここでは悪とは文在寅政権の事を指しています。


우리 가는 그 앞길에 어둔 帳幕 덮쳐도
하나님이 함께 계셔 恒常 지켜 주시리
私達が行くその前途に暗い幕が覆っても
神が共におられ常に守って下さるだろう


偽りを拒否し、真理に従おうとする為に、
名誉や利益を失い、さらには自分が
死ぬかもしれないという状況においても
神が守って下さる事を信じて越えて来た民族にしか、
この賛美歌の歌詞は実感できないでしょう。