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🏰神の王国とは・하나님의 王國이란


⛲What is the kingdom of God

(日本語,10分)


🏰神の王国とはどんなものか


번역・낭독:가스펠성전 서란
📖飜譯・朗讀: 가스펠聖殿 西爛
ほんやく・ろうどく:ゴスペルせいでん せいらん


神の王国とは地上にできたらどんなものか考えてみた事がありますか。クリスチャンはあえてそれを考えません。なぜなら、初めに起こるであろう、キリストの再臨を忍耐強く待っているからです。私もそうかなと雲をながめて見た事もあります。ここでメンタル エクササイズをいっしょにして見ましょう。


私の心に起こるはじめの疑問は、神の王国でも人々が治められる必要があるのか?という事です。「人々は政府を必要とするのか?」これは重要な疑問です。なぜなら、キリストが再臨されれば、人々が罪と悪から開放されると広く信じられているからです。黙示録(もくしろく)21章には、新しい世界がどんなものか少し書かれています。


「その時、私ヨハネは聖なる都、新しいエルサレムが、
神から出て天から降りてくるのを見た
夫のために着飾った花嫁のように」
黙示録21章2節


さらに書かれています。


「そして、神は、人の目から涙を全く拭いとってくださる。
もはや死もなく悲しみも叫びも痛みもない。
先のものが既に過ぎ去ったからである。
彼らの目の涙をことごとく拭いとってくださる。
もはや悲しみも嘆きも労苦もない」


この句だけを見れば、一旦、キリストが再臨されれば罪も悪も消え去るように思えます。しかし、前の章を見ると、違った光景が見えます。


「その千年の期間が終わると、
サタンはその国から解放される。
地の四方の諸国民に出ていく。
ゴクとマゴクを惑わそうとして出て行き、
彼らを集めて戦わせようとする。
その数は海の砂のように多い」
黙示録20章7節


ワオー。キリストが千年統治した後、王国と人々からなる連合軍が神の王国をアタックするというのです。そうした反乱の数が海の砂のように多くなるというのです。つまり、キリストが再臨して神様の王国を建設したとしても悪は存在し続けるということです。


しかし、待ってください!もし、善が神の王国の中にあり、その外側に悪があるとしたらどうでしょう


エデンの園にはまだ罪は存在せず、アダムとイブはピュアでホーリーな環境で暮らしていました。でも、そこには神様から離れるかもしれない潜在的な罪がありました。これは神が私達を創造する時、自由意志を持たせたのです。神がこのように創ったのは、彼らの子供達と真の愛を共感する為です。ロボット族に神様を崇拝させるのではないのです。エデンの園においてアダムとイブの自由意志に、神は干渉しませんでした。未来の彼らの子供達の自由意志を取り去る事もまったくしなかったのです。


だから神の国と言っても罪と悪が生じる可能性があります。強く支配的な人達がより弱い人達の優位に立ちたいと思うのです。それゆえ、悪の立ち上がりを防ぐために、政府が形成されます。


しかし、この政府は今日までの悪主権とはまったく違います。政府は非常に邪悪になる事ができます。サタンがいかに国家権力を用いて神の子供達を支配し奴隷にし、殺したのかを、私達は歴史を通して知っています。


神を信じたければ
・国家権力に従うか
・殉教するか、
・監獄に入るか
の選択しかなかったのです。


しかし、神の王国では信者はもうサタン的な国の無力な犠牲者になる必要はありません。むしろ、代わりに神から与えられたキングとクィーンとしての権利と権威を行使し、基督の共同相続者として統治します。そして、彼らはついに神の祝福を実現します。「生めよ、増えよ、地に満ちよ」


ここで聖書は、王国がどのように守られるべきかについて具体的なアイテムについて話しています。


「私に求めよ、私も諸々の国をあなたに相続させ、
地の果てまでもお前の所有として与える。
あなたは鉄の杖をもって彼らを打ち破り
陶工の作る器物(きぶつ)のように彼らを打ち砕くであろう」
詩編2章89節


「勝利を得るものに、私の技を終わりまで守り続ける者に、
私は諸国の民の上に立つ権威を授けよう。
彼は鉄の杖をもって彼らを治める。
土の器を打ち砕くように。同じように
私も父からその権威を受けたのである」
黙示録2章26節


「女は男の子を産んだ。この子は鉄の杖で
すべての国民を治めることになっていた。
子は神のもとへ、その玉座へ引き上げられた」
黙示録12章5節


「また自ら鉄の杖で彼らを治める。
この方はぶどう酒の搾り桶を踏むが、
これには全能者である神の激しい怒りが
込められている」  
黙示録19章15節


ヨハネはこの杖と啓示的なビジョンを見た時、大変パワフルなものとして表現しました。キリストとその信者達はそれによって諸国を打ち砕き、治めることができるというものです


それで、どんな杖が、諸国を屈服させるのでしょうか?


昔は、キングが自分の王国を守り主権を保つ為には剣がアイテムでした。さきほど言いましたが、キリストの王国では、キリストと共に統治するすべての信仰者が王の権利を有し、自分と国を守るために必要であれば悪の力と同じ程度のパワーを備えなければなりません。ですから、鉄の杖とは…それは武器と火器です


ところが、キリストと武器、特にキリストと火器を関連づける事は現代人にとって大変難しいことです。ある信仰者は、神のみが、生と死に関わるパワーをコントロールすると主張するかもしれません。彼らが参照する聖句は、十戒の六番目、「あなたは殺してはならない」です。


しかし、「殺す」というヘブライ語の「ラツァク」という言葉は、「計画的な殺人」、または「不法に人を殺す」という意味を持ちます。これには戦争で敵を殺すことや、自衛の為の殺人は含まれません。聖書の観点では、それは、善いことであり、正しいのです。 自分の家族やコミュニティ、そして国を守る為に、殺傷武器を用いる事は善であり正しいというのです。


ネヘミヤ記にあるストーリーを思い出しましょう。エルサレムを守るため、恐れる事なく戦うように、同胞、息子、娘、妻、また家の為に戦うように、彼は人々に呼びかけました。


イエス自身も武器を使うことに反対しませんでした。自分自身で武器を製作したのです。 鞭(むち)を作って両替人を攻撃して追い出しました。


イエスは自衛の為の軍備権も認めているのです。弟子にこう語っておられます。 「剣のないものは服は売ってそれを買いなさい」。


「剣のない者はそれを一つ買いなさい」
ルカ22章36節


さて、キリストが審判主として再臨し、鉄の杖で治めると聞くと、非常に恐ろしい独裁者のようなイメージがします。


しかし、黙示錄の支配するという言葉は、ギリシャ語では「ポイマイノ」という言葉で、文字通りには、「羊飼いのように行う」ことを意味します。独裁者ではないのです。良い羊飼いが羊をガイドし、羊をガードし、杖を使って保護する。ポイマイノ、支配するという言葉はケアという意味です。王の王であるイエスは自分の羊の群れをご存知です。それは変わりません。きのうもきょうも。そして永遠に。王国の良い羊飼いはやはり、正義と慈悲で治めるのです。だから、主の王国では神の人々はキリストを中心として、自己防衛の能力を持ちロッド オブ アイアン、鉄の杖を使うのです。


「人がその友の為に自分の命を捨てること。
これよりも大きな愛はない」。
ヨハネ福音15章13節